2011年3月16日、イラン旅行の為、羽田空港にいました。日頃の混雑が夢ではないかと思うような閑散とした空港でしたが、何もなかったかのように定刻通りリムジンバスがやって来ました。乗客は殆どいませんでした。翌日、成田発の北京経由テヘラン行きの飛行機は多くの中国人で満席でした。皆、中国へ逃げて帰る、というような服装、雰囲気に溢れていました。イランでの二週間、テレビでは福島原発建屋爆発のシーンが、これでもか、これでもかというように続き、首都だけでなく地方都市でも人々からフクシマ、フクシマと呼ばれ哀悼の意を示されました。
事故から数年後に会った幼馴染は、首都圏で商売をしていたが震災直後に米国在住の息子から、東京は放射能で大変なことになっているから、すぐ逃げろとの電話があり九州へ移住したと語っていました。放射能の詳しい情報が日本では手に入らず、遠い米国からの息子の警告に彼は驚いたそうです。
2016年4月には熊本地震があり、ヘルメットを被って家族全員が一睡も出来ず二階で過ごしました。そして、やっと伊方原発のことが頭に浮かびました。私は放課後学習教室のボランティアをしています。純真な子供達一人一人の顔を見ながら、この子供達に取り返しのつかない不の遺産を残してはならないと思うに至りました。そして、やっとやっと目が覚め原告となりました。
(Yさん)
福島第一原発事故が起きたとき、「原発を止めるためにできることは何でもやらなくては!」と、ほんとに強く思いました。原発は核兵器と同じ絶対悪です。動かしてよい理由は一つもありません。
2016年3月の大津地裁で出された、高浜原発運転差し止め仮処分決定は、滋賀県の住民が隣県の原発を止めるという快挙でした。目からうろこでした。「そうか、隣の県でも裁判ができるんだ!」と背中を押されました。「原発事故の被害地元になることを拒否する」と、全国各地でで裁判が起きたら、原発は止まると思います。
(Nさん)
表向き「第五福竜丸の伯父の為にも 反核運動を!」しかし、本当は他の人から引っ張って行かれた。今は「核と人類は共存できない!」と叫んでいる。
(itotoさん)
伊方原発3号機の再稼働にあたり事故が起きたらどうなるのか自分の目で確かめたいと「被災地を訪ねる3日間」に参加してきました。原発に最初から反対し続けた宝鏡寺の早川さんの話の中に「百聞・百見・百考・一行」本堂の貼り紙に「原発大事故こんども日本」と書いてありました。だまっていることは賛成したことと同じではないかと思い福島の現状を友人や知人に伝えたいと思います。
(Oさん)
東京電力の原発事故は私たち人間の生きる生存権を奪うものであったことが明らかになりました。
にもかかわらず政府・経営者は原発による電力をと考えています。私たちが声を上げることで阻止に向けた取り組みが進んでいきます。伊方原発は私たちの生活圏にあります。事故が起こる前に止めなければなりません。
(Nさん)
「原発はよくないよな」という漠然とした思いを持っていただけで、はっきり「反対!やめよう!」の取り組みをしてこなかったことを悔いています。せめて「原発はやめる」ということを今の日本の大人の責任で決めてから死にたい。
(Tさん)
大分市民として当然の行動をとらせて頂いた思いです。今後も注目し続けます。
(Wさん)
福島までは何も知りませんでした。でもあんな現実を見てまだ続けることは決して許されません。”想定”など、人間のできることではありません。
(Sさん)
原子力ムラ利権と核兵器製造のポテンシャル維持のための原発は必要ありません。
(Hさん)
やっとここまでこぎつけた、という気持ちです。これほど現実(東日本大震災後の東電、政府、マスコミ…現地の人々の生活)を見ながら、我が生活環境に気付き、恐れそれぞれの判断・行動に出ると思っていたが、それほど深刻に受け止められていないと思う。今立ち上がらなくて、いつ?という思いだ。いのちに関わることなのでなおさら…だ。
(Hさん)
90歳のあちこち故障のある老人ですので、外に出向くことはできませんが「原発阻止」の固い気持ちは持ち続けています。
(Nさん)
原発には反対していますが、今まで長期間社会に云いたいことを云ってこなかったので、体力があるうちにお手伝いできたらと参加することにしました。良く分かっていない高齢者ですがよろしくお願い致します。
(Kさん)
原発に頼らない生活をする、原発の廃棄物をどうするのか?処分方法もはっきりしないでダラダラと稼働している、人間はバカである破滅の道をすすんでいる、子供に申し訳ない。
(Mさん)
充分な環境下で生活してきたとは思っていませんでしたが、それなりに安心して暮らしてきました。しかし、福島の原発事故以降は地震大国の国民として、伊方原発から約70kmに暮らす大分市民として、今を生きる自分だけでなく将来にわたって伊方原発周辺住民の生命と暮らしの危機を大きく意識せざるをえません。又、原発立地自治体に対する政府の対応と沖縄の米軍基地問題に対する政府の対応の、真逆という言葉では言い尽くせない、その大きすぎるギャップに強い憤りをおぼえます。子と孫は大分には住んでいませんが、彼らの将来のためにも皆さんと力を合わせて闘い続けたいと思っています。一喜一憂するのは人間の常ですが、失望することを拒否する精神を大事にしながら頑張りましょう。
(Iさん)
時間的、空間的に人がコントロールできない危険なもの(原発)を気安く使うということが信じられません。福島のことをどう理解しているのか。推進する人たちはあまりに鈍感!!分かっている人が止めるために努力しないといけないですね!よろしく。
(P,S)福島で、新築した住宅の下に(放射能)汚染物が埋められていたとニュースがありましたが、全くひどい話ですね!!
(Hさん)
福島原発事故から五年が経つ。未だに多数の住人が故郷を追われ放射線障害に怯えながらの生活を余儀なくされている。それにもかかわらず、事故の責任は誰一人問われることもなく、事故の解明も調査・検証も曖昧なままである。国民の命と暮らしを真剣に守るために、我が地震列島から原発を無くさねばならないと思っている。
(Nさん)
チェルノブイリの事故以来、いつか日本でもと毎日のテレビニュースから目が離せない30年でした。子ども達の未来、元気で大人になれる日が来るのかと心配しながらの日々、子ども達は母親になりました。そして3.11.今、4人の孫に恵まれ、その未来を考えると不安から解放される日はもっと先と思われます。この運動にささやかながら応援いたします。
(Iさん)
東北大震災であれ程の大きな原発事故を起こし、住民の方が住むことも出来ず、そしていまだに廃炉のしっかりした道筋もない状態が続く中、政府はどうして再稼働出来るのか理解できません。安価などころか、危険で膨大な費用がかかる原発なのに。目先の電気代より、もっと将来の事、子供たちの未来の時代のこと等考えて、勇気ある政策転換をしてもらいたいと思います。
(Oさん)
孫のためには一歩も引くことはできません。毎日のように続く地震のゆれを感じながら原発の無事を祈る なんて… 誰も責任を取らない国ニッポン。ほんとに情けない大人たちです。
(Mさん)
5月末、熊本市でのボランティアの帰りに益城町にも立ち寄りました。熊本市内に住み益城町にボランティアで通っている友人から「見ておいた方がいい」と勧められたからです。雨の中で見た益城町、言葉がありませんでした。地面が動いており、自然の大きなエネルギー、私たち人間の抗うことのできないエネルギーを実感しました。人間は自然のなかで行かされている。人間の力で制御できない原発は廃止すべきです。」再稼働は絶対に許せません。私たちは微力ですが無力ではない。原告に加わらせて下さい。
(Oさん)
安全な生活、自然を守るために市民一人ひとりが声をあげていく必要があると思います。
(Tさん)